<2>古代文明における音楽の歴史

古代文明における音楽の歴史

古代の音楽は実態が不明です

盲目のハープ奏者   紀元前15世紀 エジプト第18王朝の壁画

楽譜がなかったころの古い時代の音楽については、よくわかっておらず、わかるのは、せいぜい9世紀ころからの音楽からなのです。

それも、更に後になって作られた音楽を通しての推測に過ぎません。

音楽というものは、常に演奏(歌唱や器楽等)を伴って存在するものであり、記譜法が誕生する前は聴覚を通じた伝承でした。

まして録音技術はごく最近誕生したわけですから、大昔の演奏が実際にどんな風に行われていたのかがわからない以上、真の意味で、当時の音楽の実態をとらえたことにはならないのです。

しかし、時代が徐々に現代に近付き楽譜などが登場してくると、その推測にもかなりの信愚性が出てくるものといえるでしょう。

古代ギリシャの楽譜

例えば、ギリシャ時代の音楽が、現在の五線譜で表されていることがありますが、それはあくまでも、現代人が習慣として用いている立場からの理解であって、現代の記譜法によって当時の音楽を再現することは難しいと考えておくべきだと思います。

日本の伝統音楽を、五線譜上に書き込み、それを十二平均律を用いた楽器で演奏しても、「幽玄の美」は表現できませんからね。

4大文明がもたらした音楽の未来

古代メソポタミアのライア

古代における文明社会は、大河の恵みの下に誕生したことは、よく知られています。

ナイル河畔のエジプトを始め、チグリス、ユーフラテス両流域の古代メソポタミア、黄河、揚子江流域における中国、インダス、ガンジス川流域のインドなどに、前後して文明が築かれていきました。

メソポタミア文明で使用されていた古代文字である楔形文字(くさびがたもじ、せっけいもじ)を創始し、文明度の極めて高かったシュメール人が、ウルの都を中心にその王朝文化の繁栄を誇ったのは、紀元前2500年ころのことで、そのころにはエジプトはすでに、第4、5王朝時代を迎えていました。

このエジプトやシュメールの古代文化を物語る壁画や、多くの出土品などによって、当時の宮廷で音楽が重要な役割を果たしていたことがわかります。


宮廷における音楽
は、様々な「儀式」または宮廷内の人々を中心とした「饗宴の場」で用いられることが多かったようですが、一般の人々の生活においても、その音楽事情は変わらなかったようです。

また、他の音楽の用いられ方としては、生活と結びついた形、つまり「狩猟」「農耕に関する行事」「冠婚葬祭」などのための音楽であり、更にもう一つ考えられるものは、軍事的あるいは宗教的な儀式や行事などに結びついた「儀式、式典用」の音楽でした。

そうした音楽の演奏に必要な楽器も、この時代には、ある程度の形を整え、機能的にも十分に使用に耐えられるものになっていたようです。

ツタンカーメンのトランペット(金属製)

ショファール(角笛)

シストルム(神事で使用)

ラバーブ(擦弦楽器)

弓型ハープ

現在の楽器名でいえば、管楽器では、フルート、オーボエ、ホルン、トランペットなど、弦楽器では、リラ、ハープ、リュートなど、打楽器ではシストラム(がらがら)、ベル、シンバルなどが用いられていたことがはっきりしています。

しかし、この古代社会も、エジプトが比較的に安定した政権のもとに王朝を維持したのを除けば、メソポタミア世界では、政治的な変動が激しく国家の浮き沈みが多くみられ、音楽の文化的成熟には至りませんでした。

ギリシャ文明に至る道

アクロポリス パルテノン神殿

一方地中海上のクレタ島を中心とするクレタ文明(ミノス文明)は、紀元前2000年ころから5世紀ほどの問を最盛期としましたが、エーゲ海周辺における民族の移動が続き、その後紀元前1000年前後には、ギリシャ人世界が成立することになります。

そうした政治的な変動のうちに、古代からの音楽が伝承され、しだいに形を整え、内容的に深みと複雑さを加えながら、音楽は大きく発展していくことになるのです。

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