「楽典」の学び方とは2


教訓めいたタイトルを付けて恐縮です・・・

大作曲家の1人にハイドンという人がいますね。
フルネームはフランツ、ヨーゼフ、ハイドンと言います。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年3月31日 – 1809年5月31日)

ハイドンはオーストリアの田舎町、ローラウという所で生まれたんですね。
お父さんの仕事は車大工という仕事で、当時、絶対王政の世の中においては、下層階級の貧しい家に生まれ育ったんです。

しかしハイドンは子供のころ、とてもきれいな声を持った少年でした。

それで、ウィーンにある大きな教会、ウィーンの聖シュテファン大聖堂の少年聖歌隊員として音楽の経験を積むことになります。

シュテファン大聖堂(ウイーン)
少年聖歌隊

少年聖歌隊、つまりボーイソプラノは、現在でもそうですけれども、当時はとても大切にされたのです。

汚れのない少年のソプラノの声は、神を賛美するためにとても重要なものでした。

しかし変声期を迎えると、ボーイソプラノの歌声は消えてしまいますので、ハイドンも用済みで、お払い箱になってしまいます。

ハイドンの年齢で、17歳のときでした、今と当時の食糧事情の差でしょうね。
今の男の子の変声期よりも、ずっと遅いような気がします。

そこで、ハイドンは独学で音楽を学ぶようになるんです。

彼が勉強した教科書の一つに、「グラドス・アド・パルナッスム」というヨーゼフ・フックスが書いた、対位法を学ぶための本がありました。

ヨハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux, 1660年 – 1741年2月13日)

対位法というのはポリフォニーの音楽を作曲する方法です。

このこのポリフォニーとは何かというと・・・

ひとつのメロディーがあったとして、そのメロディーに対してよく響き合うもう一つのメロディーを作ります。
さらに3つ目のメロディー4つ目のメロディーと、メロディー同士が重なりあって、美しい響を形成していく音楽ですが、いざやってみると、とても難しい勉強なんです。

カエルの歌ご存知ですよね。あれの輪唱を思い出してください。
「かえるのうたが~♪ かえるのうたが~♪ かえるのうたが~♪」と、いくつも重なり合っていきますね、あれがポリフォニーなんです。

その話はこのくらいにして、

グラドス・アド・パルナッスムとは

このテキスト、グラドス・アド・パルナッスムというのは、パルナッソス山への階梯、つまり階段という意味です。

パルナッソス山というのは、ギリシャにある標高が2,500メートルくらいの山なんですね。

パルナッソス山

この山が、何で有名かというと、ギリシャ神話に出てくるからなんです。

ここにはMuseの神、が住んでいると言われてきたんですね。
Muse、つまり芸術全般の女神様のことです。

Muse

つまりグラドス・アド・パルナッスムとは、Museが住む山の頂を目指すこと。それは、芸術の高みを目指す、ということを意味しますね。

パルナッソス山への階梯と名付けられた、この本は・・・即ち、音楽を学ぶということは、「不断の努力を伴う」ということを意味していると思うのです。
まるで、一歩ずつの歩みを積み重ねてパルナッソス山の頂に辿り着くように。

登山に例えると

山といえば、私事で恐縮ですが、私は学生時代東京で過ごしました。
大学ではワンダーフォーゲル部に入って、よく山に登ったものです。
そこで得た経験は素晴らしいもので、学んだ教訓も数々あり、部活動の友とは今も親交があります。

上高地(長野県)

学生時代は色んな山に登りましたが、特に、上高地から入山する北アルプスの山々は大好きで、何度も行きました。
今目を閉じても、美しい山々の峰が目に浮かび、友と励まし合って歩いた山の日々が懐かしく思い出されます。

しかし、最初の登山は地獄と天国を両方経験しました。
山登りをする方なら、良くお分かりだと思いますが・・・。

先ず、歩き始めは林道をしばらく行きます。そしてしばらくすると、杉木立の続く登山道に入ります。

杉木立の続く登山道

そこは、歩いても歩いても、見えるのは杉木立の薄暗い森の中。
風が吹かずに蒸し暑く、じめじめとした深い森の中を、一歩ずつ、足を踏みしめていきます。

休憩で腰を下ろすと汗が噴き出し、場合によっては、やぶ蚊やブヨが襲ってきます。

それを払いのけて、再びいつまで続くともわからない山道を歩き続けます。
どこまで行っても、同じような森の景色ですから、本当にこの道で合っているのだろうか?という不安な気持ちが迫ってきます。

その様な歩みをずっと続けていると、ほとんど突然の出来事のように、パッと視界が開ける場所に出てきます。

視界が開ける場所(森林限界)

アルプスの場合、標高が2000メートルくらいの場所から、森林限界といって、高い木は無くなります。
灌(かん)木林(ぼくりん)といって、背丈の低い木々になるんですね。

そこまで来ると、明るい日の光を浴びることができて、遥か麓を見下ろすことができます。

「俺はこんなに高いところまで登ってきたのか」と、その時に、自分がどれだけ高い場所まで登って来たのかが分かり、今までの苦労に対して、初めて自分で評価することができるのです。

また、振り仰ぐと、今まで森の中で見えなかった、きらきら輝く頂が見えます。
そして「あそこまで行けばゴールだ!」という、明確な目標が分かります。
やる気も、勇気も、100倍になった思いがします。

山頂へ向かう最後の上り

この登山の体験は、私に、物事の道理を教えてくれました。

それは・・・
「誰でも必ず、初めて新しいことをやり始める時には、ある一定期間の苦しく忍耐を伴う時期がある。」
ということです。

当然ながら、その期間を耐えきれずに、努力を放棄したした者は、自分の目的を果たすことができないということですね。

そして、その数は、圧倒的に多いことも・・・。

私を信じて、この投稿記事を読んでくださっているあなたには、必ず最後まで学び終えて頂きたいと心から願っています。

そして、音楽の素晴らしさを、今までよりも、より深い次元で味わっていただきたいのです。

そういう思い、願いをこめて、次のお話しをさせて頂きます。

「楽典」の勉強方法について

「楽典」の勉強方法を、「山の登り方」に例えてお話しましょう。

同じ一つの山でも、登るコースが幾つもあることを知っていますか?

①まっしぐらに、ロッククライミングなんかしながら登っていく垂直登頂や急登攀(はん)。

②急な斜面や、沢などを登っていく上級者コース

③そして、子どもやお年寄りでも上ることができる安全な一般道コース

あなたはどのコースで登りたいですか?

先ず垂直登頂や急登攀(はん)のコースです。 
最短コースですが、死ぬほどきついし、大きな危険を伴うコースです。
超人的な体力と、天才的な能力を持っていれば可能かもしれませんが・・・。

続いて上級者コースです。
短時間コースですが、これもかなりきついし、急な斜面や、沢などを登っていくので危険を伴います。
体力があり経験を積んだ、つわ者なら可能かもしれませんね・・・。

最後に一般道コースです。
これは、風景や高山植物などを楽しみながら、ゆっくり登るコースです。
時間はかかりますが、誰でも無理なく登れるし、楽しいし、安全です。
私のような普通の人でも大丈夫なコースと言えますね。

ですから・・・誰でも必ず登頂できるのは、一般道の登山コースということですね。

あなたは、是非、一般道の登山コースを登ることをオススメします。
無理をしないで、コツコツと、日々新たな学びを積み重ねていく学習の姿勢を持っていただきたいと思います。

そうすれば、必ず山の頂上に立つことが出来ますよ!
そのことを、よく覚えておいてください。
・・・しかし・・・
先程もお話ししましたが、登り始めた直後の長い上り坂の中で、ある場所(図の黄色線)に辿り着くまでは、独りで登り続けていくことが、辛いかもしれません、不安になるかもしれません。
独りで学んでいると、挫折してしまうかもしれません・・・。

そういうときには私にメールしてください!
メールのアドレスは、下に書いておきますから。
必ずあなたに手を貸して、山の上の方まで案内して連れて行きますよ!

森林限界を過ぎて、そこから麓(ふもと)を見ると、登り始めたところにあった山小屋の赤い屋根が、小さく見えるかもしれません。

麓の山小屋

そして、自分の努力・成長を確認できることでしょう。

そうすると、新たな力を得て、山頂のゴールまで一気に登っていけるはずです。

この「楽典」の学習も同じことです。
決して急ぐ必要はありません。

山の素晴らしい景色や、美しく可憐な高山植物の花を楽しむように音楽の学びを楽しみながら、ゆとりを持って学習してくださいね!

一歩ずつ足を踏み出せば、必ずゴールに辿り着きます。

途中でくじけそうになったら、私が励まし続けます。

楽典の学びを通して、本当の「音楽の素晴らしさ」を求めてください。

それでは、先ずは、楽しみながら学びを続けてくださいね!

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ご質問はこちらまで
freude2020sp@gmail.com
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