ギリシャ人はまた、音楽の理論面においても、大きな貢献をしている。
その1つは、ギリシャ旋法と呼ばれる音階を整えたことであり、ほかの1つは、それに付随して生じてくる、いわゆるエトス論である。
ギリシャ旋法は、完全4度の間に2つの音を挿入してできるテトラコード(テトラコルド)といわれる音列を、いろいろに組み合わせることで作られたものである。
しかし、それは、現在の全音階とは違って、一定の高さで表されるものではなく、単に関係的な高さを示すものであり、我々の言ういわゆる〈節回し〉を示したものに過ぎなかった。
エトス論というのは、要するに、音楽が人間に与える影響について論じたもので、例えば、
アウロスによる音楽はディオニュソス的、つまり陶酔的で歓楽的、本能的で情熱的な傾向を持ち、
キタラによるものはアポロン的、つまり、理知的で静的、夢幻的な傾向を持つということである。
こうした考え方が、直接的には各種の旋法に固有な性格に結びついて、例えば、『青年の教育にはドリア調がよく、柔弱を誘うようなリディア調は使うべきでない』というような論が行われたのである。
つまり、音楽を単なる娯楽としてとらえるのではなく、生活と社会、あるいは国家とか教育とかいう見地から論じているもので、芸術論といったものとは異なったものであった。
ドリア旋法
リディア旋法
しかし、このギリシャ人世界も、紀元前4世紀にはマケドニアによって征服され、アレクサンドロス大王によるアジアにまで広がる空前の統一国家形成によって、いわゆるヘレニズム文化が興り、その広がりと深さのなかにギリシャ文化も吸収され、生き続けていくことになる。
だが、歴史的には、マケドニアの国家的生命は短く、やがてローマ帝国によって統一されてしまうことになる。