ポリス(都市国家〕としてのギリシャ

よくご存じのように、古代ギリシャは多くの独立したポリス(都市国家〕の集合体としての国家であり、そのポリスは、それぞれ政治形態が違っていました。

また、それぞれに民族も異なっていたので、互いに争い合うことも多く、ペルシア戦争(B.C.492-479)のような国を挙げての大きな戦がある場合を除いては、国家的にまとまるというようなことは少なかったのです。

かし、しだいにギリシャ人世界も、国家的に安定するようになって、彼らの間に共通の言語や宗教、文化を持つという意識も生まれるようになりました。

そして、オリンピアの競技会に代表されるような民族的な共通意識を自覚するようになっていきました。

こうした民族意識を育てるのに大きな役割を果たしたのが、ホメロスによる《イーリアス》《オデュッセイア》2つの叙事詩で、いずれも、紀元前8世紀ころに成立したものです。

《イーリアス》はトロイヤ戦争の末期にまつわる1つの事件を中心としてまとめられたものであり、《オデュッセイア》は、その遠征軍に加わった英雄オデュッセイアが、祖国に帰り着くまでの冒険物語です。

【イーリアス】

【オデュッセイア】

これらの叙事詩は、キタラを伴奏に歌う吟遊詩人たちによって、ギリシャ人の間に広く普及されていきました。

後になると、アウロスというオーボエ属の管楽器による伴奏でも歌われるようになりました。

  

【キタラ】

【アウロス】

 

また、このアウロスは、伴奏だけでなく、純粋な器楽曲のためにも使用されるようになっていきます。

そのころになると、叙事詩に代わって抒情詩が盛んになり、今でいう歌曲的な世界も広がっていくことになります。

 

一方、ギリシャ悲劇に代表される演劇の世界も盛んになり、3大詩人といわれるアイスキュロス(B.C.525-456)、ソフォクレス(B.C.497ころ一406)、エウリピデス(B.C.485ころ~406ころ)などの作品では、すでに劇場音楽の形に整えられて、2、3人の登場人物を中心として、対話あり、独唱あり、舞踏ありということで、現在の歌劇と同様の内容のものだったと考えられています。

劇全体の重要度から言えば、音楽は第二義的な存在だったと言えますが、劇中には合唱も挿入され、その伴奏楽器として、合唱には1・2本のアウロスが、また独唱にはキタラが、それぞれ用いられたようです。

 

音楽理論とエートス論

ギリシャ人はまた、音楽の理論においても、大きな貢献をしています。

その1つは、ギリシャ旋法と呼ばれる音階を整えたことであり、他の一つは、それに付随して生じてくる、いわゆるエトス論です。

ギリシャ旋法は、完全4度の間に2つの音を挿入してできるテトラコードといわれる音列を、いろいろに組み合わせることで作られたものです。

しかし、それは、現在の全音階とは違って、一定の高さで表されるものではなく、単に関係的な高さを示すものであり、我々の言ういわゆる〈節回し〉を示したものに過ぎませんでした。

エートス論というのは、要するに、音楽が人間に与える影響について論じたものです。

例えば、

アウロスによる音楽はディオニュソス的、つまり陶酔的で歓楽的、本能的で情熱的な傾向を持つ。

 
【アウロスを吹く女】

キタラによるものはアポロン的つまり、理知的で静的、夢幻的な傾向をもつ。

【キタラーを持つアポロン】

こうした考え方が、直接的には各種の旋法に固有な性格に結びついて、例えば、青年の教育にはドリア調がよく、柔弱を誘うようなリディア調は使うべきでないというような論が行われたのである。

つまり、音楽を単なる娯楽としてとらえるのではなく、生活と社会、あるいは国家とか教育とかいう見地から論じているもので、芸術論といったものとは異なったものでした。

しかし、このギリシャ人世界も、紀元前4世紀にはマケドニアによって征服され、アレクサンダー大王によるアジアにまで広がる空前の統一国家形成によって、いわゆるヘレニズム文化が興り、その広がりと深さのなかにギリシャ文化も吸収され、生き続けていくことになります。

しかし、歴史的には、マケドニアの国家的生命は短く、やがてローマ帝国によって統一されてしまうことになります。