私は1915年生まれで、もう半世紀以上も生きている。4、5歳のころ、私が買ってもらったのか、あるいは私の家で買ったのか、蓄音機があったが、それは手廻しのものであった。文章で詳しく説明しても、これを見たことのない人には理解してもらえまいと思うが、廻す手を休めれば、音は消えてしまう。聴いている間は、廻すという努力を続けていなければならなかった。

 ぜんまいが仕込まれている蓄音機になり、それによって、いわゆる洋楽を聴けるようになったのは、関東に大地震があった後、1924年、私が小学校2年のころであった。20枚とはなかったレコードは、勿論今は1枚も残ってはいないけれども、その曲名をほとんど思い出すことができる。

 その中の、子供ながら気に入った数枚を、繰り返し繰り返し聴き、すっかり覚えてしまった。しかし、ある音楽のメロディーを全部覚えてしまったからといって、それが一体何になったろうか。

 実はここに問題があり、それが全く無駄なことであったと言い切るわけにもいかない。私はそれ以降、歌を教えられ、また教えられない歌をも覚え、忘れ、友人の家に行ってべ一トーベンやシューベルトを聴いたりするようになるが、それらを聴く心のどこかに、この幼年期に染み込んでしまったメロディーや拍子が、新しい音楽を受け取る手助けをしていたようにも思える。

 音楽の専門の勉強をすることなく、ただ何となく出会う音楽を、その時々の状態で聴き、またある時期には、レコードを多くそろえている喫茶店にも通ってべ一トーベンのシンフォニーを1番から9番まで、幾晩かかけて聴いた。

 解説がつくわけでもなく、またそのために特別に本を読んで、その曲の周辺の事情を知識として蓄えていたわけでもなかった。そして今もって、例えば音楽とは一体何であるかとか、その効用について、即座に答えられるような用意はない。またそんな用意のないのを悲しく思ったこともない。

 だが、いつの間にか、音楽についてのある構えがつくられた。それは私にとって別段決定的なものでもなければ、無理に守りとおそうとするものでもなく、まして他人に強要するようなものでもない。それはまた明日にでも、変わっていくものかもしれない。

 その構え、身構えというよりも心構えといった方がいいかもしれないが、そう単純なものではない。というのは、既に幾度も聴いた曲でも、ある時突然に、私の心をゆさぶりだし、狼狽させることがあって、そのために、うっかりすると涙を流すようなことさえ起こり得るからである。

 モーツァルトの「レクイエム」を、ぼくはうっかり聴けないと、こっそり私に漏らした友だちがいた。今時、音楽を聴いて涙を流すような哀れな奴がいるのかと思われるのも悔しいからだと彼は思っている。

 私は、黙って彼の言葉を聴きながら、すばらしい音楽を聴いて涙を流した経験のない者こそ哀れむべきだと思った。

 問いかけ方にもよるが、君はだれの何という曲が好きかという質問などはやたらにするものでもなければ、そういう質問に軽々しく答えるべきでもない。芸術作品と、それに接したときの激しい感動は、ほとんどの場合全く個人的なものであって、その理由はほんとうのところ自分自身にも分からないときが多い。

 音楽に限らず、諸芸術の大氾濫時代ともいえる時代、それとの内面的な交渉を静かに抱くのは大変むつかしくなった。私は山の奥に住む知人が、ひと晩泊まりで、3か月も4か月も前からたのしみにして、その近くの小都市へ来ることになった好きな演奏家の演奏を聴きに行く話を聴いて、実のところうらやましいと思った。彼は私などの何十倍の悦びを音楽から得ているのだろうか。これはもう私には想像もできない。

 せめて私は、届いた新しいレコードを、出来るかぎりのいい状態を待って、静かにていねいに聴こうと思う。そしてそれがわが身わが心に深くしみ渡ってくれる悦びであることを願う。

 

「心貧しき者の本」より

串 田 孫 一   1915年11月12日 – 2005年7月8日

東京都生まれ。東京大学文学部を卒業。上智大学、国学院大学、東京外語大学などで哲学文学の講義を担当する。

著書は「哲学散歩」四巻、「随想集」六巻「断想集」五巻などにまとやられている。

音楽に関するものでは「分教場のバッハ」などがある。