一枚の油絵の価値

ある画廊に一枚の油絵が壁にかかっているとします。

きれいな絵だから、あなたはお店の人に値段を尋ねてみました。

 

その絵が3万円バージョン

「きれいだけど、この程度の絵じゃね。うちで飾るのはちょっとね・・・やめとこう。」

その絵が10万円バージョン

「細かいところまできれいに描かれているなぁ。ちょっと値が張るけど居間に飾ろうか・・・。」

その絵が100万円バージョン

「いやー!素晴らしいね。構図といい、山々の稜線の描き方といい、湖の水面(みなも)の輝きといい、すべてにおいて心を奪われるね!」

その絵が1000万円バージョン

「感動で言葉にならない!え~っなに???うちの近所にこんな世界的名画が!・・・今日の感激と興奮は一生忘れないよ・・・。時間が止まってくれ~って感じだ・・・いや、凄すぎる!!!」

どうですか?全く同じ絵でも、値段の違いでこのように見えませんか?

★ここまでで、生徒が芸術(衣類、シューズ等の身近なものに置き換えても良いと思う)に対して価値判断する力が、ほとんど備わっていないことを自覚させましょう。

 

鑑定団の示すものは?

多くの人は、芸術に対する価値を作品の値段によって判断するものです。

私の好きなTV番組、「開運!なんでも鑑定団」では、鑑定依頼人がドキドキしながらお宝を携えて番組に登場し、その後の鑑定された「お宝」の金額によって、依頼人の運命が、天と地ほどの差となって聴衆の前に晒されます。

高い値段が付けば得意満面の顔に、その反対ならば半ば放心状態になるさまを見て、客席は沸き返ります。

鑑定結果を語る鑑定人の先生方は、常に淡々とした口調で出品された「お宝」の価値について説明しますが、価値を知る者(鑑定人)のみが有する、「ある崇高な世界観」をいつも感じるのです。

真の「お宝」とは、価値を知る者に対してのみ、その圧倒的な魅力を現実的な姿として現し、価値を認識できない者に対しては、単に値踏みされた数字をもって漠然とした存在を示すだけであります。

それは芸術作品全般に言えることであり、価値を認識できない者にとって「芸術」とは、金銭的興味の対象に過ぎず、品格の乏しい存在でしかありません。

★ここまでの話で、物事の価値を正当に判断する力を備えると、日常の世界が、考えられないような色彩豊かなものに変化し、些細な出来事の中に深い感動を覚えるようになることを理解させましょう。また、指導者の人生体験を例にしながら、知らない物事を知っていく喜びと、それに伴って、自分の世界が大きく広がっていったことを、感動的に語ることも必要ですね。

 

串田孫一の随筆より

串田孫一(詩人、哲学者、随筆家)の随筆「音楽を聴く悦び」 ー 心貧しき者の本より ー には、このような一節があります。

♪♪♪というのは、既に幾度も聴いた曲でも、ある時突然に、私の心をゆさぶりだし、狼狽させることがって、そのために、うっかりすると涙を流すようなことさえ起こり得るからである。
モーツアルトの「レクイエム」を、ぼくはうっかり聴けないと、こっそり私に漏らした友だちがいた。今時、音楽を聴いて涙を流すような哀れな奴がいるのかと思われるのも悔しいからだと彼は思っている。
私は、黙って彼の話を聞きながら、すばらしい音楽を聴いて涙を流した経験のない者こそ憐れむべきだと思った。♪♪♪

ここには、真の芸術的価値を認めた者が(認めることができた者が)感得できる、味わい深い世界観が分かりやすい言葉で表現されています。

【 鑑 賞 】

それでは、この中で示されているモールアルトのレクイエムの中から「ラクリモーザ」を聴いてみましょう。

★人を感動させ、時には涙を流させるというモーツアルトのレクエイムとはどういう作品なのかを説明し、レクイエムとラクリーモーザの基礎知識は最小限度話してから鑑賞させるようにしましょう。

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★鑑賞後の様子を見て、興味が高ければレクイエムの他の部分を聴かせると良いです。