高校教師から一転、保育園の園長へ

保育園の園長に転身して、早10年が経ちました。

私は、25年の間私立高校の音楽教師を務め、訳あって保育園の園長に転身しました。
全く突然のことだったので、周囲の皆さんは仰天しましたし、クラブやクラスの生徒からは泣かれてしまいました。

公立と違って、私立の学校では転勤は少なく、特に音楽のような分野での転勤は、滅多にあるものではありませんので、子どもたちにとってはショックが大きかったのでしょう。今でも済まないと思っています。


(吹奏楽コンクール 演奏を終えて)

私が高校を去って小さな保育園の園長になった理由を少しお話しします。

実は私がクリスチャンであるということに関係しているのですが・・・私の所属する教会は、北九州市にある日本バプテストシオン山教会というキリスト教会です。そこに愛の園保育園という教会付属の保育園があります。


(2011年に竣工した保育園の新園舎)

10年程前の2007年当時、この保育園で大変困ったことが起きました。それは、やむを得ぬ事情で急に園長が辞職することになり、私たち教会員は悩んだ末に、前園長であるT先生に1年間だけ園長職をお願いして、その期間に新たな園長候補を探すことになったのです。

その後、散々協議して候補者を考えてみたのですが、結局決まらないまま約束の1年が過ぎようとしていました。教会の付属保育園ですから当然のことながらキリスト教保育を行いますので、園長はクリスチャンであること、しかも数少ない教会のメンバーから選ぶこと、社会人として責任と実績が伴うこと。

人選に関してこのようなハードルがあったので、困難を極めました。

もしも、園長が不在ということになれば、保育園で働く先生や職員は皆、路頭に迷うことになります。教会付属(宗教法人立)の保育園でありますから、その責任はシオン山教会のメンバーが負うことになるのです。

そこで、白羽の矢が立ってしまったのが私だったという訳です。

悩みました・・・苦しい決断でしたが、お引き受けすることにしたのです。その後の園長としての奮闘記は、追ってブログ記事として残していこうと思います。


(年長児とともに 左は当時のシオン山教会牧師 城前先生) 
 ※もう中学生になる子どもたちです、顔出しは時効ですね(笑)

音楽の授業に対する想い

それから10年があっという間に過ぎてしまいましたが、音楽教育に対する情熱は冷めるどころか、自分が教壇に立つことができないからこそ、何かを世の中に伝えていきたいという思いに駆られています。

自己紹介の中でも触れましたが、音楽を指導するチャンスがあれば、喜んで飛んでいくという生活をしています。

そこで出会う皆さんは、保育園や幼稚園児、その子どもたちの先生方、小学校の児童、いろいろな教会関係のコーラスメンバー、地域のお年寄りと様々ですが、実に楽しい時間を過ごさせていただいております。


(槻田市民センター 大人の自由大学「音楽する喜び」)

さて、前置きが長くなりましたが、「音楽教育の重要性について」私なりの所見を述べさせていただきます。

私が勤めていた高校は、2002(平成14)年度から完全学校週5日制になりました。つまりそれまで土曜日に実施していた4時間分の授業をどこかの教科で削らなければならないわけです。

クラブ活動が盛んな学校でしたから月~金曜日の中で、4日間を1時間ずつ増やして7時限目を作る考えは、毛頭ありませんでした。

そこで最初に削られたのが芸術の授業でした。

この制度が始まる前は、1年生で2単位、2年生で2単位、一人の生徒が単位の授業を受けることができましたが、5日制の導入とともに、2年生の2単位がなくなってしまったのです。

私立学校の音楽授業ですから、ただ教科書に沿うという内容ではなく、私なりにかなり独自性を持って授業をしていました。

1年次(2単位)
1学期 音楽の導入及び鑑賞基礎(1)/歌唱(1)
2学期 楽典基礎(音程・三和音・音階)(1)/歌唱及び鑑賞(1)
3学期 作詞作曲して自分の作品を歌う(1)/歌唱及び鑑賞(1)

2年次(2単位) 
1学期 西洋音楽史(バロック・古典派)(2)
2学期 オペラの鑑賞(1)/歌唱(1)
3学期 西洋音楽史(ロマン派以降)(2)

ところが5日制が導入されると、このように内容が薄い授業になりました。

1年次(2単位)
1学期 音楽の導入及び鑑賞基礎(1)/歌唱(1)
2学期 音楽史の概論(2)
3学期 オペラの鑑賞(1)/歌唱(1)

当然、授業時間数が減りましたので、広報活動(中学校回り)で生徒募集係に回されました。それはそれで、私学にとって大切な仕事なのですが、正直申し上げて人に頭を下げて回る仕事は大変辛いものがありました。神経も使いますし、時には殺伐とした思いに駆られました。
学校の中で、芸術の教師というものは「どうでも良い存在」なのか?と何度も唇を噛んだ苦い思い出があります。

そのような中にあっても、音楽の授業に対しては全身全霊で取り組みました。音楽室にやって来る生徒は、興味深い目をして私から楽曲の説明を聞き、鑑賞しやすく工夫されたクラッシック音楽の調べに耳を傾けるのです。

素晴らしい音楽の調べを共有したときのクラスの雰囲気は、何とも譬えようのない充実感に満たされていました。それはそれは、静かな喜びを感じたものでした。

学習指導要領の音楽教科の目標はこのように設定されています。
「表現及び鑑賞の活動を通して,音楽を愛好する心情と音楽に対する感性を育てるとともに,音楽活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養う。」

私は、この文言を見て「なんと麗しい目標だろう」と思うのです。
美しいものを美しいと感じる心、美を尊重することができる心は、そのまま高潔な道徳心の高い人間性につながると信じています。

「豊かな情操」という言葉から連想される世界を想像してみてください。そこには、人々の香しい愛ある交わりが感じられないでしょうか?
「平和」という言葉が大きく迫ってきませんか?

音楽の授業を丁寧に行うことが、即ち世界平和につながる!というのは極めて大仰なことですが、教育としての音楽が有する立場は、根源的にはそのような部分まで抵触するということを言いたいだけなのです。

 

「名曲」との出会い

殆どの子どもたちは、私たち音楽教師が神のように敬愛する歴史上の大作曲家に対しては、全くの赤の他人であります。
それを大前提にして授業をしなければなりません。

いかにバッハがベートーヴェンが偉大でも、生徒たちにとって赤の他人が作った曲を押し付けられたら迷惑千万なのです。

ですから、授業を通して少しづつ親しみを持たせるのです。生まれ育った時代のこと、どんな家庭環境で育ったのか、何が好物でどんな女性を愛したのか、どんな趣味があって何回失恋したのか、人間臭いエピソードはどんな話が残っているのか・・・などなど。

そして少しずつ作曲家たちを、生徒にとって身内の存在に近付けていくのです。

赤の他人の話は無視しても、自分にとって大切な身内となれば、注意深く話を聞き尊重するようになるでしょう?
そのような手間を十分にかけて、初めて「名曲」との出会いを演出するのです。
そうすれば生徒にとって真の「名曲」として心に残り、彼らのものになるのです。

教師のあなたは、私が、ただ単に楽曲解説をして鑑賞することを勧めているのだとは受け取らないでくださいね!

音楽の授業にとって重要なことは、「感動的な出会いを演出する」あなたが、教師としてそこにいるかどうかということなのです。

言い換えると、授業で生徒に引き合わせる作曲家のことが大好きで、その人となりを生き生きと語るあなたを通して、そして、生徒と共に音楽を聴きながら、心から感動しているあなたの姿を通して『のみ』、素晴らしい音楽の世界に生徒を導くことができるのです。

あなたの生徒さんが、芸術音楽を愛して、それを生涯の友として歩むことができたらどんなに素晴らしいことでしょうか。
その生徒さんの人生にどんなに多くの感動と喜びが与えられるでしょうか。

私は、そのような感動的な音楽体験を、生徒に経験させることができる音楽教師が日本中に満ち溢れることを夢見ます。